カンミリ

ミリタリネタまとめ

    2014年01月

    ムエタイの国の徴兵制について調べてみよう。

    タイ軍は,毎年,新規兵員として10万人前後の人員を募集している。
     兵役期間は,志願者だと18ヶ月。徴兵で入ったものは21ヶ月間だ。

     一般にタイの徴兵は,兵員が足りなくなった場合に実施され,徴兵されるか,また,陸海空の配属先はくじによって決められる。くじであたれば強制的に軍に入隊させられるが,はずれれば兵役免除である。

    タイは韓国軍と違って,兵士の待遇が良い。
    タイの平均所得は韓国の1/4程度だが,
    兵長の平均所得は1万5千円程度ある。
    (韓国の上級兵への支給額は1万2千円前後である)

    タイの大卒の初任給が4万円であることを考えると,
    衣食住が保障されて1万5千円ももらえるのは破格の待遇だ。
    韓国で言えば,三食アパートつきで給与6万円の待遇だ。
    羨ましい!

    さらに,タイ政府は,兵士の給与とは別に,積立を行っており,退役時に,兵士には,露天商をはじめられる程度の退職金が支給される。

    くじによって徴兵される兵士の割合は,年によって違うが,徴兵数が少ないときは,対称者の1/5程度しか徴兵されないそうだ。

    日本で有名なタイの徴兵くじの動画です。
    海軍に当たって気絶!


    以下,TVのキャプチャー画像です。

    最初に断っておくが,タイで徴兵の対象となるのは男です。

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    上着を脱いでいる壮丁たちです。
    上着を着ている人もいます。

    壮丁(そうてい):徴兵検査の適齢者
       日本では,徴兵制が廃止され使われなくなった言葉ですね。

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    化粧をした壮丁います。

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    刺青をした壮丁もいますね。
    タイでは若者の7割が刺青をしているそうです。
    裸に刺青は,タイでは日常風景。

    運命のくじ引きの瞬間。

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    「おめでとう。あなたは祖国に奉仕することになりました」

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    「マジかよ」

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    喜ぶギャラリー。
    なぜなら,徴兵が決まれば,後ろに控えた壮丁の徴兵される確立が下がるからだ。
    徴兵が決まるたびに,他の壮丁の家族たちから拍手が沸きあがる。

    これが,前の人のくじの結果で一喜一憂する若者の動画です。
    前の人が徴兵されると飛んで喜び,
    徴兵を免除されると床を叩いて悔しがっています。

     


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    「君は免除」

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    「○×▼!♪~」
    と免除されると,うれしくて踊りだす若者も居る。

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    壮丁「の中にはニューハーフ(?)も居る。

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    化粧品の話で盛り上がる壮丁たち。

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    この顔で男だっていうから信じられない。

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    「幸せー」
    裸の若者に囲まれ,すっごく嬉しそう。

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    「幼馴染と一緒に来ました」

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    適正検査はみんなと一緒に受ける。

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    なかにはこんな綺麗な人も。

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    又の間の唐辛子が見えなくても男です。
    唐辛子を又の間に挟みこみ,小さめのパンツをはいて誤魔化しています。

    外見が女性に近いものに対しては,医師が
    「共同生活で,周囲の男性に悪影響を与える」と判断した場合,
    兵役が免除されます。

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    この人は,兵役が免除されました。

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    この人たちについては,検査官が集まって,免除するか徴兵するか審議中。

    過去には,豊胸手術を受けて,徴兵を免除になろうとするものがいたため,
    現在では,胸の大きさに関係なく,顔と体格を見て徴兵されます。

    結論:
    待遇がちょっとよくても,徴兵されるのはどこの国でも嫌なことなのね。


     
    【【韓国人の反応】タイの徴兵はいいな。】の続きを読む


    http://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10040&pn=2&num=77618より

    (出典:  http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2014/01/05/2014010500148.html?news_top)
    (以下の内容は,記事の一部を抜粋したものです。詳細については,上記のリンクに乗って行ってください)

    20140105110706

    (▲ADDが提案するC-103型)
    ジャンジョウォン(张曺元)韓国航空隊教授は「過去の空軍は国産戦闘機の開発に消極的だったが,今では積極的に賛成している」とし「それは,空軍は訓練機であるKT-1と高等訓練機であるT-50を運用し,韓国の航空機開発能力を知ったからだ」と話した。 

    建国大学・兵器システム応用研究所シンボヒョン(申保铉)所長(予備役空軍少将)は「北朝鮮だけではなく,ロシア,中国,日本などの北東アジア地域の紛争に備えるには,KFXの開発を急がなければならない」とし「F-35のようなステルス機を一定数保有する一方で,通常任務をこなせる第4世代の戦闘機を大量に確保しなければならない」と語った。

    最近のKFX事業は「春秋戦国時代」の状況だ。
    開発形状・開発案という二つの問題をめぐり,開発機関と国防部傘下の2つの研究機関が三者三様の主張をしているためだ。
    研究開発機関であるADD,費用対効果(cost effectiveness)を分析するKIDA,製作会社である韓国航空宇宙産業(KAI)の3機関がそれぞれ異なる形状を出して別々の主張をしている。

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    (▲KAIが提案するC-501型)

    今からKFX戦闘機を開発したとして,新型戦闘機が実戦配備されるのは,2020年代半ばだろう。
    その後,この機体が20年〜30年間を運用されると仮定すると,この戦闘機は,2050年代まで我々の領空を守る戦闘機となる。
    したがって,北朝鮮をはじめとるす韓国の周辺国が2050年代にはどうなっているかを考えて戦闘機を開発しなければならない。

    空軍の関係者は「KAIのFA-50が北東アジア地域の上空で日本のF-35は,中国のJ-20を相手するのか?」とし,「少なくとも空軍と合同参謀本部に提出したROCを満たすために”F-16+α”の性能が必要である」と言った。

    彼は「今後30〜40年の使用を考え,ROCを上げても,韓国の技術水準では,ROCを満足する新型機を開発するのは困難だ。そのために,ROCを下げるのであれば,むしろKFX事業を中止すべきだ」とし「開発段階から協力を模索していたトルコも最近になって国産戦闘機開発事業のROCをF-35と似たようなレベルに引き上げた」と言った。

    空軍の関係者は「武器の開発では,本開発をする前に,技術開発(EMD)を行い,ROCを定め,システムの開発(FSD)のステップに移る」とし「最近,防衛事業庁は,2年間200億を投入し,従来の兵器開発にはなかった”予備技術開発(Pre-EMD·Preliminary Engineering and Manufacturing Development)”の実施を決めた」と言った。
    彼は「防衛事業庁はKFX事業を殺すことはできない。KAIを存続させるための時間稼ぎのための窮余の策だ」とし,「空軍の立場では,2014年には,システム開発に着手すべき時期に,いわゆる「予備技術開発」という段階を作ったとなれば,一体国産戦闘機はいつ完成するのか分からない」とした。

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    ここでは,Pre-EMDがあるとすれば,まだKFXが安心段階はなさそうですね.....

    一度空軍側はKFXの双発のC-103型をもう少ししたいニュアンスが....
    2014-01-05 11:09:51
      【【韓国ミリオタの反応】国産戦闘機開発事業の現状】の続きを読む


    ソウル
    (1972年)
    1950年の朝鮮戦争により,国土は焦土と化し,世界最貧国圏になる。
    1960年当時の国民平均所得は80ドル程度であった。
    1961年,パク・クネ大統領の父親のパク・チョンヒがクーデターにより政権を奪取。
    パク・チョンヒ による政府主導の開発政策により,韓国は復活を遂げる。
    1970年代の韓国は,江漢の奇跡により,朝鮮戦争の傷跡から立ち直りつつあった。
    この後,韓国は1990年代中盤まで経済成長を続けた。
     
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    東京
    (1972年)
    1945年,太平洋戦争で,東京が焦土となる。同年終戦。GHQの占領下に入る。
    1952年,日本の主権回復。GHQ解散。
    1952~1973年,日本は高度経済成長をとげ,日本人の生活はこの時期に大きく変化した。
    1973年にはGNPは世界第2位となる。
    終戦直後からの日本の復活・発展は世界を驚かせた。
    この復活は「東洋の奇跡(英語だとJapanese miracle)」と呼ばれてる。
    一方で,過度な工業発展により,環境汚染が深刻化した。 
    経済大国として復活した日本の姿をご覧ください。

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    北京
    (1972年)
    1949年に国共内戦で,共産党が勝利し,中華人民共和国が中国の支配者となる。
    1950年代に,国内の整備が進みこれから中国は発展すると期待された。
    1966年から,毛沢東が文化大革命を実施。
    中国は暗黒の時代へと入っていた。
    1972年当時は,また文化大革命の真っ最中である。

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    【【韓国の反応】1972年の東京・北京・ソウルを見てみよう。】の続きを読む

    http://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10040&pn=2&num=77601

    南スーダンに派遣された韓国のハンビット部隊がボルで孤立。
    周辺地域で政府軍と反政府軍の戦闘が続き,
    補給物資を載せた輸送ヘリが飛行を断念。
    ハンビット部隊は,敵中に孤立し,支援が受けられない状況に陥った。

    経緯
    2013年12月14日,南スーダンでクーデターが発生。

    治安維持部隊として南スーダンに派遣された韓国の工作部隊ハンビット部隊駐留するボル周辺が反政府勢力の支配地域となり,ハンビット部隊が孤立する事態となった。

    日本のマスコミ報道によると,ハンビット部隊の部隊長が現地の自衛隊に銃弾の線を要請した。

    日本政府は現地に派遣した自衛隊が保有する銃弾1万発を,国連を通してハンビット部隊に提供することを決めた。

    日本から弾薬の支援を受けることに対し,韓国政府と韓国国民は反発。

    韓国政府は,日本に直接支援を要請していないと発表し,韓国国民は,現地指揮官の越権行為だと憤慨した。



    【【韓国の反応】南スーダンで孤立した韓国軍部隊】の続きを読む

    http://www.ilbe.com/index.php?_filter=search&mid=ilbe&search_target=title&search_keyword=%ED%92%8D%EA%B2%BD&document_srl=2436240011
    ソウル・仁川(1948-1949)
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    東京・仙台
    (1948-1949) 
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    北京・上海
    (1945-1947)
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    【第二次世界大戦後の日・中・韓の都市の様子を比較してみよう。】の続きを読む

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